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◆ 世界一の小山ゆうファン國方卓さん
師匠の弟、江口正明さんが「世界一の「小山ゆう」のファン・國方卓さんだ。」とおっしゃっていた意味がお会いしてわかりました。

前の晩から師匠に見せるために貴重な本を寝ないで準備されて、朝一の飛行機で高松から東京へ。

東京での仕事を終えて夜9時頃仕事場へいらっしゃいました。
そのあとは小山ゆう好き好きオーラ全開でマシンガントーク。「がんばれ元気」の原画(表紙)をみただけで、これは火山に負けた回の表紙ですね、と次から次へと言い当てていきます。

お話もユニークでいくら聞いていても飽きません。

夜の11時頃お帰りになったのですが、なんと次の日5時半に起きて、師匠のサイン入りジャンパーを着て目黒川沿いをお掃除して、それから会議に出られたそうです。

1度お会いしただけなのになんだか昔からの知り合いのような錯覚に陥ります。とても魅力的な方です。

國方さんは警察官です。四国管区機動隊香川中隊第一小隊長、高松南署刑事課強行犯係長、などを経て、現在都道府県をまたいだ事件等を捜査が円滑に進むように調整をするお仕事をされているそうです。

ただの面白いおっちゃんではないのが、下の文章を読んで頂ければ分かります。

國方さんが懸賞論文、最優秀賞・読売新聞社賞受賞をされた論文です。



最優秀賞
「感動する心」が明るい社会を造る
國方 卓(高松市)

はじめに
最近、新聞に凶悪犯罪の記事が載るたびに、「日本はなぜ、こんな風になってしまったんだろう。その原因は何処にあるのか、どうすればこの社会を良くできるのだろう」と考えさせられる。
刑事という仕事柄、「社会の安全」を考えるとき、日本人の持つ倫理観や道徳観を見直し、何がいけないのか、どこが昔と変わったのかと真剣に考えてみる必要があると思った。
そして、自分なりにいろいろ考えた結果、社会のあらゆる人々が人に迷惑をかけない人生を送り、更には「感動する心」を持つことが大切なのではないかと思うようになった。
1 他人への無関心
日本人は、何時からこんなに、他人に無関心になってしまったのだろう。親身になって、他人の子どもに注意している本当の意味での大人の姿を近年見ていないような気がする。昔、近所に居たようなガンコ親父達は、何処に行ってしまったのだろうか。
現在、他人の子どもや若者に注意すれば、オヤジ狩りにでも遭いかねない時代なのかもしれない。それにしても、昔に比べて国民一人一人が、他人に対して無関心すぎると思う。「井戸端会議」という言葉も、核家族化が進んだマンション暮らしの中では死語になりつつあるのではなかろうか。
そんな他人への無関心さが、現在のような社会に変えてしまったのではないかと思う。フリーターやニートの問題にしても、大人になるまで人から叱られたことがない余り、社会人として上司や取引相手とかかわることを極端に恐れる若者が急増したことによるものではないかと考えてしまう。
時には、嫌われることを覚悟で、他人に注意できる存在の人が近くにいて欲しいと思う若者はいないのだろうか。私達の親父や祖父が、そうであったように近所の子どもの人生にまで口出しをする、おせっかいなガンコ親父に最近憧れる。
自分がオヤジと言われる年になってみて、自分だけでも、他人の人生にかかわっていくようなおせっかいな人間でありたいと思う。
2 家庭教育の低下
私が幼い頃は、田舎の旧家で育ったこともあり、夕食は家族全員が揃って食卓を囲んで食べ、家長である祖父の話を聞かされ、それから家族の話も聞かされた。その中で、箸の使い方とか、食卓に肘をつかないとか、音をさせずに食べるというような食事マナーに始まって、外で歩きながら物を食べるのは恥ずかしい行為である等、「恥を知る教育」を受けた。それ以外にも、家族が職場であった出来事とか、学校であった出来事を話し合い、それについてどう感じたか、その行為が他人に迷惑をかけていなかったかということを、時間をかけて話し合い教えてくれた。幼かった私は、そうした家族の対話を興味津々で聞いていたものだ。
かくいう私も、現在は、妻と長男の3人でマンション暮らしをしており、私の仕事柄、家族そろって夕食をとることはほとんどない。食事マナーを始め「恥を知る教育」は妻任せであり、私は家庭で仕事の話をすることもなければ、子どもの幼稚園での出来事を聞いてやる余裕もないのが現状だ。同じマンションにお年寄りが同居する世帯は無く、どこの家庭もよく似た状況ではないかと思う。
こんな現状で、昔のように家庭教育をしろといっても無理なのかもしれないが、今も昔も子どもに社会のルールやマナーを教える一番の責任は家庭にあることに変わりはない。
家庭教育の低下を考える時、私自身、時代の流れや仕事のせいばかりにせず、幼かった頃を思い出し、少ないなりの時間を割いて、できる限り家族との会話の場を大切にしなければならないと反省している。
3 急速な利便性の追求
なぜ、日本人のモラル崩壊現象が起こったのかということを考える時、パソコンやゲーム機を始め、子ども達を取り巻く環境が急速に変化したことも見逃せない。
国民総携帯電話の時代になり、自室でキーボードを操るだけで世界の情報が簡単に入手できるようになった。そのうえゲーム機器も急速に進化し、現実とゲームの世界の区別が付かず、命の大切さすら判断できなくなっている子どもが増えていると言われている。
また、24時間営業の店が全国至る所で立ち並び、昔のように、夜に寝て、朝早起きして行動を起こすという、ごくごく当たり前の生活習慣さえも崩壊しつつある。
今の子ども達から、携帯電話とゲーム機、インターネット(パソコン)、コンビニを取り上げるとパニックを起こすのではないかとすら思ってしまう。最近はゲームやパソコン等、自室で人と触れ合わずにできる遊びを好む子どもが多くなっていると聞いた。
我々が急激に利便性を追求した結果、子ども達の心や趣味まで変えてしまったのではないだろうか。
4 尊敬する人物
私は現在、香川県高松南警察署の刑事課で勤務している。刑事として日々多忙な業務に追われる毎日だが、過去に機動隊の小隊長をしていた時期がある。「いかに部隊を強くするか」を考えていたその時、麻雀無敗伝説を持つ雀鬼流の桜井章一さんの存在を知った。
桜井さんは麻雀において汚い手を使うことを嫌う。他の日常生活にしても同じだ。そして勝負に負けない。しかし、勝負に勝つことより強さを求める、そんな考え方に私は共鳴し尊敬した。
その尊敬する人物に会う機会を得た。実際に会って話し、その凄さを肌で感じた。
桜井さんは権力者を褒めない。そんな桜井さんが唯一尊敬する企業家がいると聞いた。
大手カー用品会社の創業者である鍵山秀三郎さんがその人で、初めて聞く名前であり、どんな人かと思った。
その2人が講演会をすると知り、東京に行くこととした。そして鍵山さんが大企業のトップでありながら、45年間もの長きにわたり自ら公衆トイレ等の掃除を続ける掃除の達人で、また、その掃除哲学に学ぶ「日本を美しくする会」の相談役と知ることとなる。
講演会を聞き感動し、深夜こっそりと職場のトイレ掃除をしてみたが、その奥の深さに気付いた。そして鍵山さんの凄さに気付き尊敬することになる。
尊敬する桜井さんと鍵山さんの2人の共通点は「汚いこと、卑しいこと」を極端に嫌う点にある。
鍵山さんの人生も学んでみたくなり、著書を読んだ。こんな生き方が存在するのか。目からウロコが落ちる気分になった。そして、鍵山さんが相談役をする掃除に学ぶ会「日本を美しくする会」のトイレ掃除に、私は参加することとなったのである。
尊敬できる偉人を知り、その人に少しでも近づく努力も規範意識が欠如した子ども達には必要ではなかろうか。
5 「あいさつ」の重要性
私は心や趣味まで変わった子ども達に、どうやって他人とのコミュニケーションをとるべきか教えるとき、本当にありきたりの事ではあるが「あいさつ」からはじめるべきだと思っている。
尊敬する雀鬼会(麻雀道場)会長桜井章一さんの著書である「雀鬼流。」を読んだ時、その中で
雀鬼会では、麻雀そのものを教えることは少ない。挨拶をする、時間を守る、といった日常の生活態度を仕込むほうが多い。日常生活のだらしなさやいいかげんさが、麻雀に出てくるからです。
との記述に驚いた。
桜井さんは、「麻雀20年間不敗の達人」として有名なのだが、私自身は麻雀をほとんど知らないが、その偉業がどれほどすごいことかは容易に理解できる。そんな達人が道を極めるうえで「あいさつ」の重要性を著書に明確に記載しているのだ。「あいさつをすること」が、いかに重要なのか考えさせられた。
先日、ある刑事がマンションでの盗難について捜査し、こう言っていた。
「マンションの住民の質は、居住者同士がエレベーター等の共用部分で会った時にあいさつをしているかどうかで判る」
その話を聞いて、プロの意見とうなずいた。マンションという共同住宅に住む人の質をプロの刑事が判断のバロメーターにするほど「あいさつ」は重要なのかと。
また、私の通勤途中にある交番では、毎朝、青年警察官が立番しているが、普通の通勤者一人一人にいつも、大げさなくらいしっかりと敬礼をして、「おはようございます」とあいさつをしている。あいさつをされている人は、皆恐縮しながらも、きちんと返答している。
同じあいさつでも、その目的や声をかける側の態度で相手の対応が変わることに気付いた。本当に心を込めて、身近な近隣の方にあいさつをすることから始めれば、その地域の質が上がり、更には規範意識も上がるのではないだろうか。
6 他人の子どもに注意の声を
昔のガンコ親父とまでは言わないまでも、近所の子どもに、誰も見ていないところで私達は「あぶないよ」と声を掛けることができるだろうか。相手が女の子だったりした場合、その時と場所で、不審者と思われないかという不安があるかもしれない。
しかし、自分の信念と正義感があれば、そんな不安など吹き飛ぶはずである。通勤者全員に敬礼する青年警察官のような信念と正義感さえあれば、子ども自身も保護者も、その一言に感謝するはずではないか。
それでは、「ポイ捨て」をする若者が相手の時ならどうだろう。そんな若者に、私達は注意の声がかけられるだろうか。オヤジ狩りのごとく、反撃されてはたまらないと見て見ぬふりになりはしないだろうか。
私は、せめて、その若者が捨てるゴミをそっと拾いたいと思う。それもサラリと嫌味なくだ。それが無言であっても「注意の声」になりはしないだろうか。その態度が真摯であればあるほど、若者の心を打つのではなかろうか。
私をそういう気持ちにさせてくれたのが、鍵山秀三郎さんだ。鍵山さんの著書に「ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる」があるが、鍵山さんから掃除を学ぶと、その題名のような気持ちにさせられた。
他人の捨てたゴミを拾える勇気を持つ人は、当然「ポイ捨て」をすることも有り得ない。そんな勇気のいる小さな行為で、若者の心を感動させられないだろうか。
他人の子どもに注意の声をかけたり、他人の捨てたゴミを拾ったりする一人一人の勇気が世の中を良くしていくことに繋がらないだろうか。
7 他人に迷惑をかけない
近所の人とあいさつをする、他人の子どもに注意の声をかける、他人の捨てたゴミを拾う、そんな事が勇気を持って我々一人一人にできるようになれば、自然と「恥を知る」という日本の文化に気付き、「他人に迷惑をかけない」人生が送ることができるようになると考える。
他人に迷惑をかけないということは、当然、法律や条例を守ることに繋がるし、マナーやモラル向上にも繋がる。そして、日本人全体の倫理観や道徳観を改善することにもなるはずだ。
そういう倫理観や道徳観を持つことで「感動する心」を持つ人間になれると思う。そういう人間が増えることで、明るい社会になり、ひいては社会の安全を取り戻せるのではないだろうか。本当に小さなことだが、その些細なことを、国民一人一人が実践できれば、どれほど大きな力になるだろう。
皆が自分のことばかりを考えずに、「他人に迷惑をかけない生活」を送れば「感動する心」を持った人間に変わり、そういう心を持った人は、人を喜ばせることすらできる人生が送れるのではないかと思う。
8 心の荒んだ青年
私が刑事として、最近担当した被疑者との出会いが、私の刑事としての考え方を変える出来事となった。
この青年は、20歳代前半で心が本当に荒んでいた。背中には刺青が入っており、過去にも罪を犯して、執行猶予中の身であった。
結婚はしていないものの、親身になって世話をしてくれる彼女がいるが、その彼女にも暴力を振るうこともあり、最近の言葉で言えば、典型的なドメステックバイオレンスだ。そんな彼女に被害申告を勧めても「私が見放すと彼はもう立ち直れない」と拒否されたという状況で、当署では、この青年の対応に困っていた。
そしてある日、その青年が事件の被疑者として逮捕され、私が取り調べることとなった。
前述のように執行猶予中の身であり、今回の逮捕によって刑務所に行くことは確定的であったことから、青年は取り調べでは「好きにしろ、俺は何もやっていない」と荒んだ心で喚き散らしていた。
否認する被疑者の取り調べはいつものことであるが、私はこの青年の生い立ちを知るにつれて取調官として何とか、心を開かせてやれないものかと考えた。彼は幼少のころ両親と別れ、祖母に育てられるが、中学校すら満足に通っておらず、心の温かさを知らずに育っていた。私は彼の心を開かせる突破口を見つけるために、彼の言い分を聞くことに徹することとした。
彼は、仕事が長続きしない理由として、「自己の刺青と少年院入所歴について職場の人が陰口を言ったことで喧嘩になった」とか、「自己の不勉強さを他人からバカにされ、頭にきて喧嘩になった」などとゆっくりと話し始めた。
今から考えれば、あれが荒んだ心を開こうとし始めた瞬間だったのかもしれない。
9 一冊の本がもたらした効果
私は、この青年に、尊敬する鍵山秀三郎さんの著書「あとからくる君たちへ伝えたいこと」を読むことを薦めた。
この本の内容は、
毎日少しでも、できるだけ、私がという題で「これからどうやったら自分自身の人生がよくなるか」という話と、
心あるところに宝あり
という題で、当時72歳の著者が「自分のあとに生まれてくる人のために、何をしていくことができるだろうか」と考える話の2話構成になっている。中学生に向け講演したもので、誰にでも読める簡単な本だ。
この本には私が鍵山さんから直接「心温かきは万能なり」と書き込みを頂いた。鍵山さんは書き込みながら、私が刑事と知ったうえで、
心の荒んだ人達に一回でいいから「人からありがとうと言われてみなさい」と言ってあげて下さい。
と言って下さったという経緯があった。
私がそんな話をして本を手渡すと、彼は1時間位かけてじっくりと本を読んだ。そして読み終わると、ポツリとこう言った。
この本に書いてあること、何一つ俺にはできていない。
その目には、涙が浮かんでいた。そして、
ごめんなさい、私がやりました。
と、それまで否認していた彼が全面自供に転じたのである。それからは別人の様な穏やかな顔付きになった。
その一冊の本がもたらした効果は絶大だった。
10 更生に向けて
本を読み終わった彼に、私が「掃除に学ぶ会」に参加していることを話すと、
私も参加することができるようになれますか。
と真剣に聞いてきた。彼の背中には刺青が入っており、これから数年間刑期に服することは確定的だ。少し考えて、私は一言だけこう言った。
それは、君次第だよ。
彼の目には涙が滲んでいた。それまでの彼は、祖母に嘘ばっかりついて迷惑をかけ、彼女には暴力を振るって悲しませ、取り調べの刑事にも「もう、しない」と言うものの、すぐ舞い戻って来る状態だった。その彼が、「トイレ掃除」に参加してみたいと言い出したのである。彼が参加するためには、会自体も彼を受け入れる体制を作る必要があると思うし、私自身も彼が参加する時まで、この会への参加を続ける必要があると思った。
それからの彼は、すさまじく変わった。私自身も信じられないほどに。
あれほど心が荒んでいた彼が、刑事達にあいさつをするようになっていた。そして、彼女と祖母に面会が出来た時、それまでの自分の行いを「ごめんなさい」と素直な気持ちで謝罪し、面会に来てくれたことに「ありがとう」と感謝の言葉を表したと聞いた。
面会した2人は、共に彼の顔付きが少年のように変わっていると驚きを見せた。間違いなく彼は更生に向けての道を歩みつつあった。
11 感動する心
この彼との出会いを、私は観音寺市立粟井小学校での「香川掃除に学ぶ会」が終わったあとで、約60名の小学生を含む参加者の前で話すこととなる。
また、著者である鍵山さんに宛てて、その要旨を手紙に書いて送った。すぐ、鍵山さんから返事が届いた。その手紙には、「感動しました。本当に感動させられました」との書き出しで心温まる彼への激励が綴られていた。
私は、鍵山さんから手紙が届いたことを彼だけでなく、彼の彼女にも知らせた。
そして、彼は、これまでの被疑者では見たことのない笑顔で拘置所へと巣立って行った。
その後、しばらくして鍵山さんから私に2通の手紙のコピーが送られてきた。そう、彼と、彼の彼女が鍵山さんに宛てた感謝の手紙のコピーだった。
私がこれまで読んだどんな手紙よりも心がこもっていた。読みながら私は涙が止まらなくなった。なぜ涙が出たのか、今もって私自身にもわからない。私自身にも「感動する心」が芽生えたに違いないと気付いた。
12 明るい社会を造る
彼が当署から居なくなり、落ち着いた頃、私の職場に「香川掃除に学ぶ会」の会員が突然私を訪ねて現れた。数回一緒にトイレ掃除をしたので面識がある方だった。
用件を伺うと、こう言うのである。
先日、鍵山秀三郎さんの講演を聞きに九州に行って来ました。60分の講演を楽しみにして行ったのです。すると、その講演の中で、1通の刑事さんからの手紙を鍵山さんが読みました。百数十名の聴講者が感動していました。送り主については匿名で話されましたが、私にはその手紙を送った人がすぐにわかりましたので、ここに来たのです。
大変驚いた。一人の青年が立ち直る話が、他県で「感動する心」を広げたというのである。明るい社会を造ることに繋がったのではないかと思った。
おわりに
この青年が更生しようとする話は、私の仕事に関して本当にあったものです。実在の被疑者と現職刑事との取り調べを通じてのやりとりですので、その表現方法に私自身、悩みに悩みながら書きました。
しかし、子ども達の規範意識が欠如した今、「人の道」を外した行動をとっていた青年が立ち直ろうとする実話を紹介することで日本人の道徳観が見直され、社会の安全に一役買えればと思って書いたことを、最後に理解していただきたいと思います。
どうか、この青年の話のように「感動する心」が明るい社会を造っていくきっかけになれば、日本も良くなると信じたいと思います。
引用著書
1 「雀鬼流。」(桜井章一、三五館)
2 「ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる」(鍵山秀三郎=亀井民治編=、PHP研究所)
3 「あとからくる君たちへ伝えたいこと」(鍵山秀三郎、致知出版社)


この方が國方卓さんです。お話がとても面白い!!


こんなに沢山持ってきて下さいました。


ゆうプロにもないグッズです。貴重なものを頂きました。

2012/04/27(金)
[ by おどやん]
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